布施の家を九時に出たが、さすがに混雑をしている上りの中央道と首都高を乗り継いで家についたときには昼近くになっていた。


 玄関のドアにカギが掛かっていない。
 掛け忘れということはない。すぐに、母が来ていることに気がついた。
 案の定、玄関に女物の靴。
 靴を脱いでいると、母が奥から出てきた。
 「外泊だったのね。」
 意味ありげな口調。
 「うん。布施の所へ行ってた。」
 「ふーん。布施君の所って、彼、今、甲府だったわよね。」
 「うん。」
 尋問は、居間に移ってからも続いた。
 「何しに行ってきたの?山梨くんだりまで。」
 「何しに、って。布施に会いにさ。」
 「ふーん。少し痩せたみたいだけど、ちゃんと、ご飯食べてる?」
 「うん。食べてるよ。心配いらないって。」
 僕は、笑って見せた。
 「それならいいんだけど。掃除しておいたわよ。まったく。散らかし放題なんだから。もう、母さん、くたくたよ。」
 少し文句を言いたかったが、ぐっとこらえて、
 「ありがとう。」
 と言った。
 僕の素直な返事に気をよくしたのか、母の機嫌は回復して、
 「そうそう。さっき、藤原さんって女性から電話があったわよ。」
 と笑顔で言った。
 「それで?」
 「『お約束通り二時過ぎにうかがいます』って。」
 「あ。そう。」
 さりげなく言ったつもりなのだが、予想通り、彼女は、探りを入れてきた。まったく、詮索好きなのだ。
 「ねえ。藤原さん、って誰?どんな人?」
 「東都新聞の記者だよ。インタビューしたいんだって。」
 「あら、そう。」
 納得してくれたか?
 「女の記者さんねえ。」

 二時きっかりに玄関のチャイムが鳴ると、立ち上がりかけた僕を制して、母が出た。
 「藤原さん。応接間にお通ししたわよ。」
 だから、僕が出ようとしたんだ。
 言おうと思ったが、ややこしくなるのでやめた。
 「ありがとう。」
 と言って立ち上がると、
 「きれいな方ね。」
 と言った母の顔を見ずに部屋を出た。
 応接に入っていくと、夏美は、立ち上がって頭を下げた。
 「ここがいい?それとも、アトリエで話そうか?」
 「そうね。アトリエがいいわ。」
 彼女は、僕の許可を得て、アトリエの中の写真を数枚撮ると、最後に坐っている僕を撮ってから、自分もソファーに腰を下ろした。
 「それじゃあ。」
 と言って、彼女は、机の上に置いたポータブルカセットデッキのスイッチを入れ、インタビューが始まった。
 なんと言うことはないありがちなインタビュー。
 子どもの頃から絵は好きだった?
 版画家を志したきっかけは?
 尊敬する芸術家は?
 芸術感は?
 等々。
 途中で、母が、お茶を持って入ってきた。
 「まあ。こっちにいたのね。」
 と言って、ニコリ。
 紅茶とケーキをテーブルに置き、
 「どうぞ召し上がれ。」
 と夏美に言って、また、ニコリ。
 仕方なく、
 「母です。」
 と言って紹介すると、納得したように、
 「どうぞごゆっくり。」
 と言って、出ていった。
 「お若いお母さまね。」
 「若くで一人っ子の僕を産んだからね。」
 「そう。うらやましいなあ。」
 「君。ご両親は?」
 と聞くと、夏美は僕から目をそらせて、
 「父は、私が七才のときに亡くなったの。材木を運ぶトラックの運転手をしてたんだけど、独立するのが夢で。がむしゃらに働いた無理がたたったのね。母は、二年後、父の後を追うように。」
 と言った。
 「そうか。悪いことを聞いたね。」
 「ううん。平気。」
 営林署の職員をしていた祖父が孤児になった夏美を引き取って、夏美は高校卒業までをその祖父と暮らした。
 「おじいちゃんはやさしかったわ。私をとてもかわいがってくれた。」
 その祖父も、夏美が上京して三年後に亡くなった。最後まで、孫娘のことを気にかけながら。
 「私、ちっとも不幸じゃなかったから。ううん。幸せだったの。」
 言った言葉には嘘はないように思えた。
 「少し作品を見せてもらってもいい?」
 「ああ。」
 話題が変わったことにほっとした。
 特別な棚に整理しておかれたリトグラフの版を一通り見た後で、刷ったものを見たいと言ったので、机の上に出した。
 夏美がその中のいくつかについて簡単な質問をし、僕は答えた。
 「リトグラフ製作で難しい点を一点あげるとしたら?」
 僕は、しばらく考えてから、
 「画家や他の版画にはない点をあげるとすれば、アラビアゴムの水溶液に混ぜる硝酸の濃度かな?」
 と答えた。
 「製版に使うアラビアゴムですね。」
 「そう。よく勉強したね。レモンの酸っぱさが基本なんだ。」
 「レモンの?」
 「うん。飲んだり、紅茶に入れたりはしないけどね。舌で濃度を覚えて調整する。」
 夏美は、おもしろいと言って、メモをした。
 いくつかの受け答えも終わり、僕が、ふっと、小さなため息をついてソファーに深く腰かけ直すと、
 「あのー。」
 と夏美。
 「『風景』って連作をまだ見てないんだけど。」
 わざと出してなかった。できることなら、そのことについて話したくなかったから。
 だが、夏美が、作品について少しでも資料を読んできた以上、聞いてくるのは当然だった。何しろ、代表作なんだから。
 「あ。そうだったね。」
 笑ってごまかし、『風景・連作』と書かれたケースを持ってきて机の上に置いた。
 版画をケースから取り出して、一枚一枚丁寧に見ていく夏美を僕はじっと見つめた。
 院展での入選作や国際版画展での受賞作。十四枚の連作は、ほとんどが、何らかの有名な賞を受賞していた。
 彼女は、何かブツブツと口の中で言いながら、真剣な眼差しを紙の上に注いでいたが、全部見終わると、
 「やっぱり。」
 と、声に出して言った。
 「えっ?」
 「私、年鑑や美術雑誌を見ながら、この風景見たことがあるような気がして、気になってたの。」
 えっ!?
 声が出そうになるのをすんでのところで抑え、平静を装った。
 「それで。」
 「やっぱり見たことがあるのよ。故郷の村にそっくり。」
 夏美は少し興奮していた。
 「君の故郷ってどこ?」
 「秋田県の佐治井村。」
 「秋田県か。それは違うなあ。似てるのかもしれないけど。」
 と言って笑った。
 夏美は、やけにあっさりと僕の話を信じたようで、
 「そうね。やっぱり、似てるだけよね。日本の田舎なんて、どこも似たり寄ったりだもの。それに、この作品は、誰にも同じような懐かしい気持ちを起こさせるのかもしれないわね。」
 と言った。
 「それから、この版画に出てくる海。うちの村からじゃ、海は山と山の間に少し見えるくらいで、こんなふうには見えないから。」
 夏美が言ったのは、「海」と言うサブタイトルのついた第三番目と第十一番目の作品だった。
 岩にぶつかる波。白い波と黒い岩に縁どられた海岸線は、弧を描きながら海に突き出た岬に伸びていて、岬には灯台が建っている。
 「今にも、波の音が聞こえて波しぶきが飛んできそうなくらいリアリティがあるわね。」
 と夏美は評した。
 連作の話はそれで終わり、僕はほっとした。
 夏美は、再度、僕の許可を得て、作品の数点を写真に収めた。
 写真を撮り終わると、もう一度、僕の前に腰を下ろして、もう一つ質問をしてもいいかと聞いた。
 「ああ、何でも。」
 「じゃあ。これが、一番聞きたかったことなんだけど、連作と比べて他の作品の評価が低いことについてどう思っているのかを教えて。」
 顔を覆いたくなる質問だった。僕が、マスコミのインタビューを避ける理由になっている質問。一番聞かれたくないこと。一番突いてほしくない事実。
 僕は、多分、顔色が変わるのを隠せずに、露骨に嫌な顔をしたと思う。
 「連作は、僕も大好きな作品なんだ。だから、評価が高まってくれるのはうれしい。でも、これだけじゃないんだ、ってことを多くの人に知ってほしいんだ。だから、最近は、連作以外の作品にも、多くの労力と時間を割いて、作るようにしている。連作の評価が高いのは知ってる。僕の今日があるのは、この作品のおかげだと言ってもいい。でも、これだけが、僕のすべてだとは思わないでほしいんだ。」
 最後は、哀願するような気持ちになった。
 「そうね。わかってるわ。答えにくい質問に答えてくれてどうもありがとう。これで、インタビューはおしまい。」
 夏美はとてもやさしい目で僕を見た。友だちの目で。
 二人で作品の後片づけをし終わると夏美は帰っていった。
 食事に誘ったが断られた。
 「ごめんなさい。さっそく記事をまとめたいの。鉄は熱いうちに打てって言うじゃない。」
 断り方が少しも嫌味ではなく、
 「また誘って。」
 という言葉も、文字通りに受け取れた。
 最後に夏美が僕に言った忘れがたい言葉も。
 「私、連作以外のあなたの作品も好きだな。芸術は人を幸せにするものだっていうあなたの芸術感がとても感じられるもの。それに、美術年鑑や雑誌を見ててわかったんだけど、確かに、評価は、右肩上がり。」

 夏美が帰ると、僕は母に、
 「送ってくから。」
 と言った。
 「どうした風の吹き回しかしら。」
 「いや。ちょっと、おやじに聞きたいことがあるから。」
 「あらまあ。お父さんに?」
 と驚いたように言った後で、
 「熱でもあるんじゃないの?」
 と母は笑った。
 子どもの頃は仲のいい父子だったが、僕が高校を卒業して、美大に入った前後から関係がおかしくなった。
 卒業しても就職もせず版画家になってからは、ほとんど没交渉。
 版画家としての収入で生計が成り立つようになってからは、父の僕に対する評価もだんだん変わっていると母は言うが、ほとんど口をきかないことにかわりはなかった。
 銀行マンの父の転勤で、子どもの頃は、あちこちに移り住んだ。東京を皮きりに、福岡、和歌山、宮城、栃木、大阪。もう一度東京に戻ったのが、僕が高校一年のとき。それ以後も、父は、何度か単身赴任を繰り返した。
 その父も、今年で五七才になる。
 二人が、家につくと、もう帰ってきていて、居間にいた父と目が合った。
 口をへの字に曲げて、ブスッとした表情。
 「ただいま。」
 と言うと、父は、驚いたように、
 「お、おかえり。」
 と小さな声で返事を返した。
 鳩が豆鉄砲を喰らったような顔というのはちょうどこんなふうかも。
 「お父さんと、仲直りしないと駄目よ。やさしくしてあげて。死んじゃったら取り返しが着かないのよ。」
 と言った夏美の声がよみがえった。
 「ねえ、父さん。子どもの頃は、よく、キャンプにいったよね。二人で。」
 向かい側のソファーに腰かけて、話しかけた。
 話の真意をわかりかねたという表情で、父は、
 「うん。よく行ったな。」
 とだけ言った。
 若かった頃、父は当時まだ珍しかったチェロキーに乗っていて、休みの度に、僕と母を乗せてドライブに連れていった。
 時には、キャンピングセットを乗せて、キャンプもした。
 その場合は、母はパス。あの人は、虫が大手を振って飛び回りわがもの顔をきかせているような場所が大嫌いなんだ。僕と父の二人で出かけた。
 「秋田にも行ったよね。」
 「ああ。何度か行った。白神山地の方を中心にな。」
 父は立ち上がって部屋を出ると、しばらくして戻ってきたときには、手に地図帳を携えていた。
 昔からの習慣。ドライブやキャンプの話題になると、父は愛用のドライブマップを広げた。
 「仙台の支店に勤めてたときだったなあ。」
 懐かしそうに言うと、地図の上で、言った場所を指しながら詳しく話した。
 僕はときどき相づちを入れたりしながら父の話を聞いていたが、話が一段落したのを見計らって、
 「佐治井村っていうところにも行ったかなあ?」
 と聞いてみた。
 佐治井村、佐治井村、と小さな声で繰り返しながら、地図の上で、大きな虫眼鏡を動かす父。
 やがて見つけると、
 「あ。ここか。」
 と少し声を大きくして言った。父が指さしている村は、秋田と青森の県境に大きく東西に広がる白神山地のすぐそばにあった。
 「ここは、行ってないな。近くの冊阿仁村っていうところは行ったが。」
 「そうか。行ってないのか。」
 「うん。行っていない。」
 父は、確信を持って答えた。
 「スケッチにでも行くのか?」
 聞かれて口ごもる。
 「いや。そう。そうなんだ。スケッチをするのに、いいところがないかなあ、って思ってさ。」
 それを聞くと、父は、地図のページをめくりながら、自分の知っている景勝を次々に案内してくれた。
 うれしそうに話す横顔の父。
 「そう言えば、ランチア・ストラトスを買ったんだって?」
 「うん。後で乗ってみる?」
 「おう。乗せてもらおう。」
 母が入ってきて夕食ができたことを告げた。
 久しぶりに三人そろっての夕食。
 帰り際。ランチアの助手席に父を乗せて、家の近くを走った。
 父は、ほとんど話をせずに乗っていたが、降りてから、窓越しに、
 「良かったな。子どもの頃から、お前の大好きだったランチア・ストラトス。」
 と言ってにこやかに笑った。

つづく

前のページに戻る 次へ トップに戻る
page1 page2 page3 page4 page5 page6 page7 page8