一二七四(文永十一)年、佐渡から鎌倉にお戻りになられた日蓮大聖人は、四月八日、再び幕府に邪法を捨て法華経に帰依しなければ蒙古襲来が現実になると諫言されます。けれども、念仏・真言の信者の多い幕府は諫言を用いることはありませんでした。四月十二日に台風が荒れ狂い、十月五日には蒙古・高麗連合軍十二万五千が対馬・壱岐を侵います。世にいう文永の役です。
 「三度諌めて用いられずは山野に退くべし」。故事に習い鎌倉を離れることを決意された大聖人は、檀越波木井実長公の招きに応じ、身延山に赴かれることとなりました。そして、文永十一年五月十七日、御入山されたのです。
 身延山の歴史は、日蓮大聖人の御入山に始まるといっても過言ではありません。
 これを記念して、身延山久遠寺では、毎年六月(旧暦五月)の十七日に開闢会法要が営まれています。
十七日前の日曜日(当日もしくは直近の日曜日)には、日蓮大聖人(久遠寺法主様と総務様がお籠に乗って演じられます)や、大檀越波木井実長公、比企大学三郎等の武家、七面山女人参詣の祖となられたお万の方等々、大聖人所縁の方々の装束を着けた時代行列が行われます。
 身延山は新緑の季節。清清しい緑と楽しい時代絵巻を是非実際にご覧になってご堪能下さい。
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