十月十二日の夕方から、身延の町は祭一色に染まります。二千人を超す人々が、いくつかの講に分かれ、揃いの半被で練り歩くこの祭りは身延万灯と呼ばれています。団扇太鼓や鐘、木鉦を打ち鳴らし、踊りを舞い、万灯を揺らし、威勢良く纏を練って歩く様は、とても華やかでにぎやかなのですが、そのなかににどこか言い知れぬ憂いを帯びています。
 十月十三日は日蓮大聖人のご命日。一二八二(弘安五)年、大聖人は病気の療養と両親の墓参のために、身延山を下りて、常陸の国(現在の茨城県)に向かわれます。十月十三日、途上の武蔵の国池上(現在の東京都大田区)にてその波瀾に満ちた六十一年の生涯を閉じられました。記録は、このとき、地震が起こり、季節はずれの桜が咲いたことを伝えています。
 残された人々は打ちひしがれ、悲しみました。しかし、やがてその悲しみの淵から立ち上がったとき、大聖人への思慕の情と感謝の気持ちから、ご命日の前日の宵(お逮夜と呼ばれています)に華やかなお祭りをするようになったのではないでしょうか。万灯には、白い紙の花を飾りますが、これは季節はずれに咲いた桜を表現していると云われています。それらのことを考えながら、祭りを見ていると、身延の山に響き渡る太鼓の音やお題目は、身延の山に棲まわれる日蓮大聖人の御霊に、遠い弟子である自分たちが教えを護っていることをご報告しているようにも聞こえ、また、闇を照らす万灯の灯り、振る纏は、悲しみを吹き飛ばそうとする人々の心を表しているようにも見えてきます。
 不思議な温かさに包まれる素敵なお祭りです。ぜひ、何度もいらしてください。
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